3留して7年生と聞くと、就活に不利なのでは?と考える人も多いと思います。しかし早稲田大学教育学部数学科7年の磯貝絢人さんは、独自の就活方法で見事DeNAなど大手企業から複数内定を獲得しました。留年をもろともせずどのように就活を戦い抜いたのか、磯貝さんの就活法の全てをお聞きしました。
サークルにのめり込んだ3年間
伊藤
磯貝さん、今日はよろしくお願いします!留年生の中でも1番有名、と噂を聞いておりました。
磯貝
そうなんですか(笑)。よろしくお願いいたします。3留なので今年で7年生です!
伊藤
7年生ですか!(笑)。大学生活で力を入れていたことはなんですか?
磯貝
トピックはたくさんあるのですが、大きく2つです。スノーボードサークルと慶應の小杉ゼミです。
伊藤
色んな事に取り組まれていたんですね。サークルが留年の原因でしょうか?
磯貝
きっかけではありますが、直接的な理由ではないです。いわゆる飲みサーと言われるサークルでしたが、早稲田の中でもそこそこ有名な団体で、代表をやっていました。
【磯貝絢人(けんと)】早稲田大学教育学部数学科7年。株式会社ディー・エヌ・エー内定。
伊藤
そのサークルには1年からずっと入っていたんですか?
磯貝
はい、楽しすぎてのめり込んでいました。3年の時には代表になりました。自分がこのサークルに入ったのも、高校時代に色々あった反動からなんです。
伊藤
何があったんでしょうか・・・!
借金3億、失恋、絶望を味わった高校時代
磯貝
受験生時代に、父親の会社が倒産して借金3億円抱えてしまって。家庭はバタバタしているし、周りの友達も同じ受験生だから心配かけられないしで、唯一の相談相手が3年付き合っていた彼女でした。
伊藤
そんなことがあったんですね・・・
磯貝
でも、そんなときに彼女にも振られて、本当に前が見えないくらいの絶望を味わいましたねー。
伊藤
壮絶ですねそれは・・・。
磯貝
そんな中、数学のコンテストにのめり込むようになったんです。もともと数学が好きだということもあったし、付き合っていた頃に数学コンテストで『必ず満点を取る』と約束をしたことを思い出して、もしかしたら寄りを戻せるかもという気持ちもありましたね(笑)。
伊藤
その精神状態でそこまで頑張れるなんて本当にストイックですね。
磯貝
たった1つの問題を1日、1週間、1か月でも考えて、「なんとしても執念で解ききるんだ」という覚悟を持って臨みました。
数学に打ち込んでいた頃の磯貝絢人さん
伊藤
今できることを全力でやりきったんですね。
磯貝
結局彼女とは戻れませんでしたけど、やりきりましたね。
伊藤
そもそも数学にこだわったのは、どうしてだったのでしょう?
磯貝
それは、高校受験の失敗が理由ですね。一番得意だったはずの数学でうまくいかず、第一志望の高校に行けなかったんです。でも、そこで恩師と言える数学教師に出会って。「自分もそんな数学教師になりたい」と憧れて、数学に打ち込むようになりました。
伊藤
だから大学でも教育学部の数学科なんですね。
磯貝
はい。その後、いろいろな経験を経て、「その先生のような”人間”に憧れていただけで自分は”数学教師”になりたかったわけじゃない」って入学後気づいて。それで数学を勉強する意味を失って、やりたいことがサークルだけ残った感じです(笑)
サークル引退後はインターンに積極参加
伊藤
サークルに打ち込んだ3年間は実際どうでしたか?
磯貝
引退後、”今の自分は誇れる自分じゃない”ってことに気づいたんです。楽しい思い出ではあったんですが、他にもやれることがあったのではと思って。楽しいだけでなく、誇れる自分であるかどうかが大事なんだと気づいたんです。
伊藤
自分を誇れるという実感が欲しかったんですね。
磯貝
めっちゃ欲しかったですねー(笑)。それで、3年の終わりにインターンに応募し出し、小杉ゼミにも通うようになりました。
時間軸で説明する磯貝絢人さん
伊藤
インターンの話から聞かせてください!
磯貝
大手数社のインターンに参加したり、武者修行ビジネスプログラムで初海外に行ったり、いわゆる意識高いと言われる人が集まるようなコミュニティに行きまくりましたね。
伊藤
飲みサーからのギャップがすごいですね。
磯貝
人にはよく言われるんです。周りにもめっちゃディスられましたよ(笑)。「留年してるのになんでインターンとか行ってんの?」とか、「意識高いぶってるけど飲みサーで散々留年してるじゃん」とか。
伊藤
一貫性がないってことを言われたんですね。
武者修行プログラムでの一枚
フッ軽はフッ軽らしさを貫け
磯貝
そう言われるんですけど、自分では自然なことなんですよね。やりたいことに没頭するっていうだけのことです。
伊藤
サークルで留年した引け目はなかったんですね。
磯貝
いや、最初はありました。でも慣れました(笑)。遊び好きな人って、フッ軽な人多いと思うんですけど。フッ軽だったらそのままフッ軽で行こうよ、って感じです。
伊藤
そのノリでインターンも行ってみようっていうことですね。
磯貝
はい。しかも、こんな僕でも受け入れてくれる人がいるって気持ちにもなりました。別の居場所があったことが分かったのは僕にとって非常に大きかったです。
伊藤
受け入れてくれる場所があったと分かったんですね。
自分を掘るためのスコップを探す
伊藤
長い大学生活だと思うのですが、就活に関してはどのように考えていたんでしょう?
磯貝
3年の冬から7年まで長かったんですが、やりたいこと探しの一環として就活を捉えてました。すごい自分に出会えそうだなって思っていました。
伊藤
就活を見据えて、自己分析を進めていたんでしょうか。
磯貝
就活にとどまらず、人生において自己理解ってめっちゃ大事じゃないですか。とは言え、自分1人じゃ無理だったので人と対話する中で自己理解を進めていました。
伊藤
人と話しながら進めたんですね。
磯貝
自己分析が進まないって話をよく聞くんですけど、その原因って自分で掘るスコップを持ってないからだと思うんですよ。
伊藤
視座が高い人に掘ってもらうということですか?
磯貝
そうです。スコップを持ってる人に掘ってもらうと、こうやって掘るんだってわかったり、スコップを貰ったりできて。その後は自分でも掘り進められるようになると思います。
伊藤
社会人の方や視座が高い人と話すのは大切ですね。
磯貝
はい。起業家の方などとお会いして。留年の話とか将来の不安の話を赤裸々にして、希望を貰いましたね。
小杉ゼミでありのままの自分を受け入れられた
伊藤
小杉ゼミのお話も聞かせてください!
磯貝
小杉先生に会いに行くのも僕にとってはスコップを貰いに行くような感覚でした。ゼミの仲間もみんな自分のスコップを持っているし、刺激を受けましたね。
伊藤
小杉ゼミというのは慶應のゼミって聞いたんですけど、あれ早稲田じゃないんですか?
磯貝
いや、慶應のゼミなんですよ(笑)。サークル引退後、大学で勉強したいことを見つけたくて、色んな学部の授業に潜ってて。
伊藤
なるほど。
磯貝
そこでたまたま潜った商学部の授業で紹介された「ラッキーを掴み取る技術」という本に感動して。著者の小杉俊哉先生に会いたいと思って、気づいたらFacebookで「会いたいです!」と送っていました。
伊藤
それで小杉ゼミと出会ったんですね。
小杉ゼミのメンバー
伊藤
このゼミではどんなことを勉強するんですか?
磯貝
このゼミでは学術的な内容ではなく、人生について学ぶことが多くて(笑)。テーマは”自己理解、他者理解”で、毎週ワークショップの内容を自分たちで作り上げるんです。
伊藤
このゼミを通して得られたものはなんですか?
磯貝
人と真摯に向き合えるようになりました。幼い頃から怖がりで人に嫌われたくないから、素直に自分を打ち明けるのが苦手でした。でも、少しずつ本音を言えるようになってきました。
小杉ゼミでディスカッションする絢人さん
伊藤
自分を見つめ直すいい機会だったんですね。
磯貝
はい。”ありのまま”って言葉が小杉ゼミで大事にされていたので。ありのままの自分を出せることは、就活でも役立つと思うし、その後の人生においても本当に重要だと思いますね。
留年はアドバンテージ
伊藤
絢人さんは3年留年という事実とどう向き合っていたんでしょうか。
磯貝
留年をアドバンテージにするか、ディスアドバンテージにするかはその人の自由だと思います。
伊藤
アドバンテージになることもあるんでしょうか?
磯貝
留年って事実をどう解釈するかは個人の自由だと思います。オモロイと思うか、ダメだと思うかは自由じゃないですか。
伊藤
確かに自由ですね。
磯貝
そもそもなんで留年したかに目を向けたんです。自分だったら、高校の時走り抜けて完全燃焼したからだなって。
伊藤
留年した理由を考えたんですね。
磯貝
その反省を活かせばこれからどう走り続けられるかの材料になりますよね。失敗談を上手く活かせるっていう。
伊藤
不安はなかったんですか?
磯貝
最初は不安だったしコンプレックスでしたよ!けど、気づいたらアイデンティティになっていました(笑)。磯貝絢人って言ったら、早稲田で3年留年してる面白いやつって友達に紹介して貰えるような人間になればいいなと。
留年はアイデンティティ
伊藤
留年をアイデンティティにしていたんですね。
面接でも留年は隠さない
磯貝
あと、面接の時に1番最初に、「自分3年留年してるんですよ」って笑顔で自信満々に言うって決めていました。
伊藤
え!驚かれませんか?
磯貝
驚かれますね(笑)。必ず「え?どういうこと?」って理由を聞いてもらえるじゃないですか。
伊藤
確かに聞かれますよね。
磯貝
遊んで留年したってとこだけ見ると「この学生ダメだ」と思われますけど、”なんで遊んだのか”に目を向けてもらえます。でも初めは全然自信持って話せなかったんです。
伊藤
初めは自信がなかったんですね。
磯貝
留年を不安に思ってた時に面接でごまかそうとしちゃって、後から「実は留年してて…」って感じで話したことがあって、ガッツリ落とされました(笑)。
伊藤
自信のなさが出てしまったんですね。
磯貝
多分”悪いことをしたような表情”で”悪そうなこと”を言うから、「悪いことなんだ」って相手に思われるんですよ。なので逆に”自信満々な表情”で”悪そうなこと”言うと、「なんで自信満々に言えるの?」って食いついてもらえます。
伊藤
留年した理由を理解して、自信を持って面接に望むことが大切なんですね。
面接ではカタい言葉を使わない
伊藤
他に面接で気をつけていたことはありますか?
磯貝
言葉選びですね。あまり堅い言葉を使いすぎず、例えば”マジ”とかも使っていました。
伊藤
そんな言葉遣いで大丈夫なんですか?
磯貝
僕らしいなって(笑)。そうすれば、本音で喋っていることが伝わると考えました。言葉も態度もちゃんと”ありのまま”でいこうっていうスタンスでした。
DeNAを選んだ理由
伊藤
そもそも、なぜDeNAを受けようと思ったんですか?
磯貝
やりたいことがなかったので色んなことを経験しながら見つけたくて、幅広く事業展開している会社を考えました。あとは、一緒に働く人と環境ですね。情熱的かつロジカルな人が多くて、年齢によらず新しいことにチャレンジできる風土があるメガベンチャーを考えました。
DeNA内定の決め手は”未来の自分を信じてくれた”こと
伊藤
最終的にDeNAを選んだ決め手はなんだったんですか?
磯貝
人事に「どこの企業にするかの意思決定には、僕をなぜ採用するかという理由が必要なので教えてください」と聞いた時、「君はなんかやってくれそう。なんとか突っ走ってくれそうな感じがあるから」って言われたんです。
伊藤
それがどうして決め手になったんでしょうか。
磯貝
これは面接でも話していましたが、僕は常に不安やコンプレックスまみれで現状の自分に自信がないんです。けど、未来の自分だけは信じられる。根拠のない自信ってやつです。そんな根拠のない未来の自分を、僕と一緒に信じてくれたDeNAに心を打たれたんです。
伊藤
未来の自分を心から信じてくれた会社がDeNAだったんですね。
ダメダメな僕が多くの人に希望を届けたい
伊藤
今はどんなことに取り組んでいるんでしょうか。
磯貝
発達障害の大学生を支援する団体で、NPO法人化を目指しています。4年生の終わりに、検査したらADHDの傾向が人より強いことを知って。自分みたいな人間が支えになれたらなって。あとは人材系の会社で長期インターンもしています。留年大学生の就活経験を多くの人に伝えたいと思って。
伊藤
今後のビジョンは何ですか?
磯貝
多くの人に”希望”を届けたいと思っています。「あのダメダメな磯貝でもあんな楽しそうに幸せそうに生きているなら、俺にもできるっしょ」って思われたいんです。
伊藤
なるほど、発達障害の支援団体も長期インターンもそのビジョンを実現する為なんですね。では最後に、7年間の大学生活を振り返って一言お願いします。
磯貝
ほんと、人生って楽しいですね。辛いこともありましたし、苦しいこともありました。でも、自分は多分、そういう苦難の道が好きなんだと思います(笑)。あと、小学校より長く通っているので、早く卒業したいです!
伊藤
今年は卒業期待しています(笑)。本日は貴重なお話ありがとうございました!
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