高校時代にサッカー部のマネージャーとして活動していた中島好香さんは理学療法を学ぶために福岡から名古屋大学に進学しました。しかし病院での実習を通して考えが変わり、理学療法とは別の道を選び、就活をすることに。しかし就活がどんなものか、全くわからない。そんな状況からリンクアンドモチベーションに内定するまでの彼女のストーリーを紹介します。
Contents
「身体の健康」について学んだのは
伊瀬
中島さん本日はよろしくお願いします!
中島
よろしくおねがいします!
伊瀬
リンクアンドモチベーションに内定が決まっていますが、3月には内定が出て〜、という流れですよね?
中島
そうですね。その内定が出た時点で就活も終えました。
伊瀬
他にどこかから内定はもらっていたんですか?
中島
受けてはいたんですけど、全て最終選考で止めてましたね。私、嘘つけないタイプなんで(笑)
伊瀬
おお、出ました就活でも嘘つけないタイプ… 僕もそうでしたが(笑)
中島
就活においては色々困りはしますけどね(笑)
伊瀬
リンクアンドモチベーションに決めた理由はなんだったんでしょうか?
中島
「人の心の健康」に再現性を持った技術を使って、社会に広くアプローチできるからですね。
伊瀬
大学及び院ではその逆の「身体の健康」に関する理学療法を専攻しているんですよね?
中島
そうなんですよね。元々はスポーツ関係の理学療法に携わることを目指していたんです。
伊瀬
詳しくお願いします!
中島
高校の頃、サッカー部のマネージャーをやってたんですけど、怪我をしている選手が結構いたんですよ。でも当時の自分はテーピングの巻き方なんかも分からなくて、その選手たちに対して何もできない。で、ただ見てるだけしかできなかったのが辛かったんですよね。
伊瀬
何もできないのは辛いですね…
中島
そうなんですよ。その経験があって、高校卒業後の進路を考えた時に、スポーツ医療関係の職種を調べて、大学で理学療法を勉強することを決めましたね。
伊瀬
しっかり目的を持って大学に入学されたんですね。大学に入学されてからはどのように過ごしていたんですか?
中島
大学の授業などのみではスポーツ関係の理学療法に対する勉強量が足りなかったので、理学療法を学ぶ学生の支援団体を利用して勉強会に参加したり、スポーツ医療に携わっている方の講演に参加したりしてましたね。
伊瀬
とてもそこから転進するとは思えない活動量ですね…
中島
トレーナーになることに向けて色々やってましたね。部活では女子ラクロス部でマネージャーをしていたんですけど、そこでも最終的にはトレーナー的な活動をしていましたね。
伊瀬
ガクチカには困らないですね…
中島
そうですね。実際に話していた内容は、ラクロス部での活動でしたし。
伊瀬
具体的にはどんな活動を?
中島
主に怪我予防や食事、体づくりについての取り組みでしたね。実際怪我も減りましたし、部にそう言った点についての文化も残せたかな、と思います。

伊瀬
素晴らしい。成果も出て文化も作って…組織に文化を作るのはすごい難しいですからね…
中島
「よく言えば」の部分もありましたけどね(笑) やりがいはありましたね。
伊瀬
「身体の健康」から「心の健康」に転換するきっかけはなんだったんでしょうか?
中島
学部4年の春から夏にかけての病院実習ですね。
伊瀬
なんだかどこかで聞いたことのある話ですね… なんでだったんですか?
中島
病院で働く自分をイメージしたら、端的に言うと「嫌」というか「無理」だったというか(笑)
伊瀬
端的すぎませんか?(笑) 詳しくお願いします!
中島
一つ目は病院という環境がトップダウンだった事ですね。医師がいて、その下に看護師や理学療法士、栄養士とか、いろんな人がいるんですけど、上から指示が降りてきてやるような構図で。その構図があんまり好きじゃ無くて。あとは理学療法士として病院に入ったら医療の事だけ分かってたら、なんとなく生きていけると自分が思ってたんですけど、その生き方ってすごい狭いなと思って。その二つが組み合わさって、少なくとも週5でやりたいことではないなと思いましたね(笑)
伊瀬
なるほど…
中島
そんな感じで病院実習を終えて、このまま病院に就職するわけにはいかぬ、と思って大学院に進学しましたね。
「右も左もわからない」状態からのスタート
伊瀬
就活を始めたのはいつごろでしたかか?
中島
M1なってすぐの5月から、結構すぐに始めました。実習が終わってからは部活、院試、卒研、国試と就活をする時間がなかったので。
伊瀬
早くから動き出したんですね。
中島
そうなんですよね。とはいえ「就活とはなんぞや」みたいな状況で(笑) まわりに就活してる人なんて誰もいなかったし。
伊瀬
見切り発進状態だったんですね(笑)
中島
そんな右も左もわからない状態だったので、エンカレッジをまず利用していました。合同説明会などに行き始めたのが5月末ぐらいですね。
伊瀬
早めから始めたのはなぜだったんですか?
中島
世間の流れもわからないし、早く始めないととにかく怖かったので(笑) とりあえず早めに始めるに越したことないかなって。

伊瀬
本当に何もわからない状態だったんですね… ということは業界や業種など全くイメージも無く?
中島
全く何も、フラットな状態でしたね。
他の就活生から学ぶ
伊瀬
その状態からどのようにして就職活動を進めていったんですか?
中島
5月に参加した合同説明会が、夏インターンの合同説明会だったんですけど、そこで説明を聞いた企業のほとんどのインターンの選考は受けましたね、全くわからなかったので(笑)
伊瀬
夏まではどうでしたか?
中島
インターンの選考を受けていたんですけど、面接対策とか全くわからないし、自己分析なんかも全然掘り下げられていない状況で。ただその中でネオキャリアのインターンに行って、「就活の猛者」的な人たちに会って、初めて就活とは何かについて学びましたね。
伊瀬
「就活の猛者」、といいますと?
中島
長期インターンをやってる人や、すでに起業してる人がいたんですけど、その人たちが、何をしたいのか、そしてなぜ今起業やインターンをしているのか、これからどういったことをしていきたいのかということをハッキリと、整理された状態で口にしていたんですよね。一番学んだのは、自己分析とキャリアプランでした。その二つをしっかり詰めて、見る企業や業界を絞っていく必要があるな、と。
伊瀬
なるほど。他の人の行動から「就活とはなんぞや」ということを学んだわけですね。
自己分析は「量の実践」と「抽象化」で
伊瀬
先程お話にもあがりましたが自己分析はどのように進めていったんですか?
中島
最初はモチベーショングラフを書いたり、「いわゆる」みたいなことを結構やったんですけどそれだけでは今ひとつで。
伊瀬
今一つというのは?
中島
やって整理したことを面接とかでアウトプットすると、それに対して色んな人に色んなことを言われるじゃないですか。その中で自分がアウトプットした内容を、自分が本当にそう思ってるのか否か、というところに照らし合わせていくと違う部分も出てくるので「これは違う」「これはそう思う」ということを貯めていくという感じでしたね。
伊瀬
アウトプットして「壁打ち」したわけですね。そこからはさらにどのように進めていったのですか?
中島
説明会とか行った時も、「こういうところが嫌」とか、自分の「いいな」とか、微妙と思うポイントを貯めていって、最終的に貯めていったポイントを抽象化したものが自分のキャリアプランの軸になっていった、という流れでした。
伊瀬
「自分がどう感じるか」というポイントをたくさん貯めていって、その本質を抜き出していったんですね。
中島
そうですね。あとは企業の人に「こういう風に自己分析進めていったらいいんじゃないかな」と言われたことは素直にやってみることにしてましたね。
伊瀬
具体的に実践したものとしてはどんなものがありましたか?
中島
モチベーショングラフであったり、仕事だけじゃなくて、自分の人生を十年ごとに区切ってイメージつけて、自分のキャリアを考える、とか…とにかく実践しましたね(笑)
伊瀬
とにかく量をやって、サンプルを増やしたんですね。
中島
そうですね。とにかく実践でした。あとは企業の人に聞かれてわからなかった事とかは、就活してる友達と喋ったり、自分一人で考えたりして自分なりの解を持ってる状態にはしてましたね。
伊瀬
学生団体などのメンターはどのように使ってたのですか?
中島
インターンや面談、説明会で聞かれたことや感じたことを自分なりに反省してまとめたものをぶつける、という風に使ってましたね。
伊瀬
アウトプットの練習ということですか?
中島
そうではなくて、「次のアクションを決定する為の情報源」として使ってましたね。いかんせん情報が足りなかったので(笑)
基本的に、
「イベント ⇨ 自分で反省・整理 ⇨ 情報収集 ⇨イベント…」
のサイクルでしたね。
基本的に、
「イベント ⇨ 自分で反省・整理 ⇨ 情報収集 ⇨イベント…」
のサイクルでしたね。
伊瀬
なるほど、PDCAを回して自分を堀り下げていったんですね。
中島
そうですね。それでだんだん自分の軸がはっきりしていったという感じですね。
グルディスは自分の強みを活かせ!
伊瀬
グループディスカッションなどの選考で工夫したところなどありましたか?
中島
グループディスカッションは嫌いじゃなかったんですけど、ロジカルシンキングとかそんなに得意じゃなかったですね…
なので、基本的に「自分の強みは他にある!」と思ってアイデアマンやチームの雰囲気作りに徹し増したね。
なので、基本的に「自分の強みは他にある!」と思ってアイデアマンやチームの雰囲気作りに徹し増したね。
伊瀬
意外とみんな見失いがちですよね。
中島
そうですね。あとはわからないと思ったところは素直にチームのメンバーに聞いて、それによって結果的にチームが共通認識を持って議論できるようにしてましたね。
伊瀬
なかなか素直に聞くって難しいですよね。自分の強みを活かして、チームの議論を円滑に進めるよう立ち回るのは大事ですね…
中島
結果的にはアイデアマンの役割が多かったですね、結構議論に熱中しちゃうタイプなので(笑)
逆質問で「こっちも選んでるんだぞ!」
伊瀬
自分に嘘つけないとのことですが、面接は苦労しましたか?(笑)
中島
苦労したというよりかは、とにかく嘘がつけないです(笑)
面接は自然体を意識してましたね。面接用に自分を作る必要は全くないと思います。
面接は自然体を意識してましたね。面接用に自分を作る必要は全くないと思います。

伊瀬
まさにその通りだと思います。面接に臨むにあたって他に意識していたことはありますか?
中島
逆質問の時間を大事にしてましたね。自分の軸にこの会社が合うのかどうかという確認ができるので。
伊瀬
質問する内容は準備していたんですか?
中島
そうですね、選考が進んでいけば前回の面接で聞いたことを踏まえて「次はこういうことを確認しよう」と、準備して臨みましたね。「面接を受ける」というよりかは「こっちも選んでるんだぞ!」みたいなスタンスでしたね。
伊瀬
面接の本来あるべき姿ですね。
中島
そうですね(笑)
その企業でしかできないことであれば話は別かもしれませんが、嘘ついて採用されてもしんどいだけだと私は思っているので。仮に自然体でいって人柄でその会社と合わないと思われたのであれば、それまでの縁だと思っていました。
その企業でしかできないことであれば話は別かもしれませんが、嘘ついて採用されてもしんどいだけだと私は思っているので。仮に自然体でいって人柄でその会社と合わないと思われたのであれば、それまでの縁だと思っていました。
選んだのは「心の健康」
伊瀬
最終的にリンクアンドモチベーションに進路を決めるまでのプロセスを教えてもらえますか?
中島
秋終盤ごろから業界を絞って見はじめて、自分が向いてるな、と思っていた人材系と、バックグラウンドが活かせる医療系、それと新しい物好きなミーハー心でIT系を見てましたね(笑)
最終的には人材と医療で迷ってましたね。
最終的には人材と医療で迷ってましたね。
伊瀬
人材系はなぜ自分に向いていると思っていたんですか?
中島
理学療法士が人と関わる仕事なので…という浅いイメージが始まりですね。業界がだんだん分かっていくにつれて、一口に人材と言っても、広告やコンサル、人材開発や教育などいろんな関わり方があることがわかって、全体を見て結構好きだなとは思いましたね。
伊瀬
なるほど。その中で企業はどのように絞っていきましたか?
中島
秋終盤あたりはさっき言ったように業界から見て、自分の肌感に合うかどうかで判断していました。だんだん自己分析も進んで、1月あたりには自分の軸に合ってるか否かに照らし合わせて企業を選ぶようになりました。
伊瀬
ある意味自己分析で「肌感」が言語化されたようなものでしょうか?
中島
そうですね。
伊瀬
軸自体はどのようなものでしたか?
中島
軸は二軸あって、一つはその会社で働いている人が仕事に対して誇りを持っていて前向きに働くことを捉えている会社かどうか。もう一つが人の幸せの根源的な所にアプローチできるような活動領域を持っているかどうか、でしたね。
伊瀬
二つ目に関しては「身体の健康」と「心の健康」ですね?
中島
そうです。前者であれば医療系、後者であれば人材系にあたるかなという感じです。とはいえ後者に関してはすごいわかりづらいですよね…?
伊瀬
なんとなくはイメージつきますけど、説明しろと言われたら難しいですね…
中島
ですよね。なんやねんみたいな。私の中では「やりがい」や「生きがい」かなという感じです。
伊瀬
なるほど。その二軸を元に今の内定先を選ぶまでの過程について教えてください!
中島
検討していた業界はさっき言った通りで、その二つの業界で迷ってましたね。その上で、改めてなんで自分が働きたいのかを考えたんですけど、自分のやりたいことの中で、根元にあるのは「自分が幸せでありたいし、自分の周りの人たちを幸せにしたい」ということでした。とはいえ、自分の周りの人と言っても、ただ単に自分の周りだけじゃなくて、それ以上の社会全体で見た時に幸せな人が多くあってほしいというイメージで。そう思うと、日本という社会広く幸せで、自分が幸せになれる仕事が良い、という風に考えるようになりましたね。
伊瀬
最終的には心の健康を選んだんですよね?
中島
そうですね。その迷っていた時に思い出したのが理学療法の学生団体の活動でブラインドサッカーを体験したことだったんですよね。
伊瀬
あのアイマスクを着用してやるサッカーですよね?
中島
そうです。その時に目に障害のある人たちがすごい生き生きとしていたんですよね。「自分たちはパラリンピックを目指して頑張っているんだ」って。身体にハンデを背負っていても、すごく生き生きとしているこんな人達がいる一方で、身体は健康体なのに全然楽しそうに生きてない人達がいる。そう思うと、心の健康が先にあった方が、人の幸せ度上がるんじゃあないか?という仮説が浮かんで、心の健康≒やりがいの創出ということで人材系に進むことにしましたね。
伊瀬
なるほど…素晴らしい体験だと思います。二点は確かにリンクアンドモチベーションの事業と合致してますね。
中島
そうですね。特にモチベーションエンジニアリングという技術があって、それは「技術」なので再現性があって、広く適用できると私は思っていて。それを広く使っていくことが、社会の場を変えて、幸せな人が増えることにつながるな、と腑に落ちたところがありましたね。それで最終的にリンクアンドモチベーションを選択しました。
伊瀬
内定先と自分のやりたいことがマッチしていたんですね。
中島
そうですね。自分の「こういうことがやりたいんです」っていう志がリンクアンドモチベーションの向いている方向が一致していたんだと思います。
仮説を検証してみたい
伊瀬
内定先と方向性がマッチしていたとのことですが、具体的にはどう言ったことに取り組んでみたいと考えていますか?
中島
まずやってみたいな、と思っていることはコンサルティングです。「社会の側を変える」と言ったものの、実際に問題が起こっている現場・現実をまだ自分の目で見たことないので、それらをまず知るところから始めていきたいと思います。

伊瀬
「仮説」のための情報取集ですか?
中島
だいたいそんな感じです。生の声を聞いて、自分の思っている仮説を現実と照らし合わせてブラッシュアップして、こうやれば良いのかな、という道筋を立てていきたいですね。
伊瀬
「まず」ということはその道にずっといるつもりではないのですか?
中島
ゆくゆくは「仕組み化」に取り組んでいきたいと思っています。コンサルティングを自分がずっとやっていたとしても、自分で変えられる範囲は限られていて、社会全体が変わるかと言えばそうではないと思うので。
伊瀬
「仕組み化」ですか…これもまたある種「文化を作る」ということですが。
中島
そうですね。リンクアンドモチベーションのサービスにモチベーションクラウドというサービスがあるのですが、最終的にはそういった人に依存しない「仕組み」を拡大していくことが広く社会を変えることに繋がるんじゃないかと今は思ってます。
伊瀬
手札もすでに揃ってないわけではないですね…
中島
まだ絵空事なので何とも言えないところですが(笑)
それはともかく、少なくとも向こう5年間くらいのうちに自分のやったことが目に見える成果になっていればベストだとは考えています。
それはともかく、少なくとも向こう5年間くらいのうちに自分のやったことが目に見える成果になっていればベストだとは考えています。
伊瀬
中島さんの作った文化が僕の生活にも及ぶことを楽しみにしています!(笑)
中島さん今日はありがとうございました!
中島さん今日はありがとうございました!
中島
ありがとうございました!